マタイ. 13:29-30 しかし、主人は言った。『いや。毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。』」
悪いものは取り除く必要がありますが、
主人がすぐに毒麦を引き抜かないのは、
育つまでは、それが良いものなのか、
悪いものなのか、区別がつかないからです。
悪人にも、少しばかりの良いところがあり、
善人にも、少しばかりの悪いところがあるものです。
評判の良い学校に行っているから良い生徒、
評判の悪い学校に行っているから悪い生徒ではないのです。
人の善と悪は、さまざまなところで入り混じっています。
神は、麦も毒麦も育つことを赦された。
その理由は、全ての人が悔い改めて救われることを望んでいるからです。
神は、人の一面を見て裁くことはしません。
人の生涯に期待し、生き方を見ておられます。
あなたは与えられた命を、どうのように生きたいですか。RK