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自分で生きていきたい
「私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」
ローマ14:8
ボクらの中には、
「自分で進路を決めたい」「誰かに指図されたくない」
という思いが潜んでいる。
だから親の投げやりな言葉や、
先生の的外れなアドバイスにたびたびイライラするんだ。
そういう人はいつの日か、自分にとって都合の悪いみことばは、読み飛ばし、
期待通りに働かない神さまを捨てていく。
“神さまのため“に造られた人間が、“自分のために“生きていくならば、
全財産を投げ打っても取り返すことのできない永遠のいのちを失うことになる。
ある宣教師が「罪(Sin)のスペルの中心には“I”(自分)がいる。
罪とは、自分が中心になることだ」と言ってた。
あなたは今、誰のために生きているだろうか。
自分のためだろうか、それとも、主のためだろうか。
今日のみことばをもう一度読み返してみよう。
(FM)