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系図
「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。」
「それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。」
マタイ1:1,17
聖書通読は簡単ではない。
通読が止まってしまう最大の難関は、レビ記…いや系図だ。
私たちにとって系図はカタカナの羅列、
似たような名前、誰が誰なのか、
どこの誰なのか把握しにくい。
しかし、その名前の一つひとつが聖書に載っていることを考えてほしい。
神がその一人ひとりを、覚えていることがわかるから。
聖書は物語ではなく実話であり、系図のすべてがキリストに向かっている。
この神によって紡がれた人の名前は、神にしか作ることができない。
誤魔化すことのできない血筋の事実なのである。
そしてキリストの十字架の犠牲により、
エルサレムから遠く住む私たちのところに福音が届けられた。
これは万軍の主の熱心が成し遂げたことだ。
(RK)