十字架の故に

2020年7月30日 更新 / 2020年9月11日 公開
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1コリント 2:4  そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。

 厳選された言葉、洗練された言い回しによって宣教の働きが進むわけではりません。雄弁であれば人が救われるとは限りません。宣教の働きは御霊と御力の現れであるとパウロは語っています。

 「御霊の現れ」は「信仰の名のもとに無計画に行動すること」ではありません。御言葉から学び、みこころを祈り求め、行動に移すことです。

 私たちは語るにしても行動するにしても、みこころに従う必要があります。みことばを語る時も聞く時も、神のみこころは何かを探り求める必要があります。自分の得意な話をするのでも、自分が納得できる部分だけを聞いて受け入れるのでもありません。

 みこころに従う時に宣教の働きが前進していきます。5節に「それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。」とあるように、全ての栄光は神に帰せられるべきであって、私たちの功績ではありません。

 キリストの十字架の功績の故に私たちは聖霊に導かれ、みこころを行うことができるのです。さらに主に頼り、みこころを求めまていきましょう。

Ryu_taro