イザヤ 55:6「主を求めよ、お会いできる間に。 呼び求めよ、近くにおられるうちに。主を求めよ、お会いできる間に」
私の神を求める心は足りているのだろうか…。
恵と救いは理解している。しかし、自分の中に何かが足りない、もっと何かがあるはずだ!と、自分の信仰に満足できない時がないでしょうか。
薄い雲のようなものが頭上を覆い、掴むべきものを掴みきれていない、そのような神に対する飢え渇きはありませんか?
その思いは不信仰ではありません。さらなる聖霊の満たしの必要に気付いている証拠です。信仰が後退しているのではなく、むしろ成長しているのです。
あなたが必要としているのは人の助けではなくなり、神からの満たしと導きとなりました。
このような思いを忘れようとしてはいけません。渇いた心をそのままにしてはいけないのです。むしろ主に飢え渇き、乳飲み子のようにみことばを慕い求めつつ、祈りましょう。
主は必ず、私たちをそこから引き揚げてくださいます。それは神の時に必ずきます。遅く感じることはあるかもしれませんが、遅れることはありません。
熱心に主を求める時、競争心やプライドが解け落ちます。神の恵に上限はなく、求める者には更に与えられるのです。
皆さんはそのことを信じますか。
Ryu_taro