「なぜなら、主の日が すべての国々に近づいているからだ。 おまえは、自分がしたように、自分にもされる。 おまえの報いは、おまえの頭上に返る。」
オバデヤ1:15
仏教には「因果応報」という言葉がある。
誰でも、自分の行いの結果を刈り取らなければいけないという意味だ。
キリスト教は、イエスさまが身代わりになってくださったから、
どんな原因があっても無条件に救われると信じている。
まるで、「因果応報」とは全く違う価値観があるように思う。
でも、無条件に救われることと、
自分のやったことの刈り取りをすることは全く別のことだ。
クリスチャンになれば、
やったことに対して刈り取りをしなくていいわけじゃない。
神さまは自分のしたことに対する責任をちゃんと取らせるお方だ。
責任を取らせることも、神さまの優しさなんだ。
神さまの優しさは、甘やかすとは全く別だということを覚えておこう。
(FM)