「さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」
エペソ4:1
パウロは迫害され、囚われていた。
ローマの囚人になっていたんだ。
しかし彼は、「ローマの囚人の私」ではなく、
「主にある囚人」と自分を紹介している。
自分は確かに囚われているんだけど、人にではないんだと。
自分は主イエス・キリストに囚われているんだと。
ボクらはいつも目の前にあることばかりに目が奪われて、囚われてしまう。
そして「〇〇の囚人の私」になっていないだろうか。
ゲームの囚人?成績の囚人?友達の顔色伺いの囚人?不安の囚人?
今日胸を叩いて告白しよう
「主にある囚人の私」と。
パウロは続けて、召しにふさわしく歩みなさいと教えているんだ。
主に心を囚われたボクたちが歩むべき1日はどんな1日だろう?
目の前の状況は変わらないかもしれない。
それでも主に囚われたあなたができることをしていこう。
(FM)
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2023年2月24日