民数記. 11:6 だが今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。」
「肉が食べたい!」と大の大人が、
泣き叫ぶ姿を見たことはありますか。
そんな情けない姿を見たら、
笑ってしまうかも知れません。
彼らは、毎日の短調な食生活に不満がありました。
エジプトの奴隷状態から解放され喜んでいましたが、
毎日神が与える食物、“マナ”に飽きてしまったのです。
なので、「きゅうりも、すいかも、にら、玉ねぎも、
にんにくも。食べた〜い」
ここには何もない。“マナ”だけだ。と不平を言いました。
食生活が“マナ”中心だったのは、
神から与えられる糧で、
生かされていることを体感する訓練だったのです。
日々、神のことばに生きる生活は、単調に思える時もあるでしょう。
他のものに解決を求めると、不平不満が出るのです。
日々、“マナ”を求めましょう。
そうすれば、霊的な成長が与えられます。RK