マタイ18:22「イエスは言われた。『わたしは7回までとは言いません。7回を70倍するまでです。』」
主が私たちを赦してくださったように、私たちも人を限りなく赦し続ける必要があります。この赦しとは、何に対してもただ「いいよ大丈夫」と言うことではありません。
相手を赦すことと、安易にその人を信頼することでは少しベクトルが違います。また、私たちは人を赦しているつもりになっているだけの場合があります。赦していると思っていても、その人に対する苦い思いや反感、影口が知らず知らずにでてきてしまうのです。
なぜ私たちは人を心から赦すことができないのでしょうか。それは一重に救いの恵、神の大きな愛と哀れみを受け取れきれておらず、自分が赦されている恵を味わっていないからです。
忘れてはいけないのは、もし私たちが心から兄弟を許さないなら、私たちも赦されないと言うことです(マタイ18:35)ギリシャ語で赦しはαφίημιアフィエミと言い、手放す・無視すると言う意味があります。
私たちは、ゆるせない心を手放す必要があります。ゆるせないという思いは変えられない過去の出来事に現在を台無しにされている状態です。
相手に非があるかどうかは大した問題ではありません。主に赦され、祝福されている者として、相手に腹を立てる無駄な時間は無くしましょう。
Ryu_taro