ピリピ 2:6-8 「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」
今から約2000年前、神が人としてこの世界に来られました。
神の愛が地上に降り立ち、私たちの間に住まわれたのです。
偉大な神が人となり、私たちとともに生きてくださいました。
そして、神の愛は病人を癒し、罪人に歩み寄り、十字架の愛で、私たちを包み込んだのです。なぜ主はむち打たれ、十字架で苦しまれ、不当な裁判では黙っておられたのでしょうか。
それは全て、罪の虜になっている私たちのためにしてくださった救いの技です。
私たちはキリストに対して「あなたが全て」と言えるでしょうか。たとえ私たちがそのように告白できなかったとしても、神は私たちのことをたった1人の子のように愛し、ともに生きるためなら全てを犠牲にして救い出してくださるのです。
それはまるで神が私たちに「あなたが全て」と言っているかのようです。神は私たちを慕い求めていてくださいます。遠い存在ではありません。永遠に私たちとともにいるのです。
Ryu_taro