失う喜び

2020年7月27日 更新 / 2020年8月15日 公開
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私たちは物質的な豊かさの中に生きています。
お前は何を持っているのかと問われ、人より多くのものを持っている事が評価される時代です。
何かを得る事が称賛され、失うことは喜ばれない時代です。
しかし、キリスト者のこの地上での歩みとは、「何かを得ていくことよりも何かを失って いくこと」ではないでしょうか。
いやむしろ、イエスキリストを知りながら、何かを得ようとその人生を使い、自己実現を求め、人からよく思われるために生きているのであれば、そんな人の歩みに価値などありません。なぜなら、イエスキリストの十字架への道のりとは得ていくものではなく、弱くされ、傷つけられ、失っていく道のりだったからです。
失うとは、明け渡すことであり、譲ることであり、低くなることであり、頼ることではないでしょうか。物質的に豊かなこの世界は、人が抱えている大きな問題、「貧しい心」に気づくことはできません。
パウロという男はイエス様に出会うまで、まさしく目に見える豊かさを求めた貧しい心を持った人でした。
しかし、彼はイエス様に出会ってこのように告白します。

ピリピ3:7しかし私は、自分にとって損であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。

Q.あなたには貧しさを選ぶ心の豊かさがありますか。

Fumika