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主がともにおられるなら
ゼカリヤ4:6-7「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。 『権力によらず、能力によらず、 わたしの霊によって』 と万軍の主は言われる。大いなる山よ、おまえは何者か。 おまえはゼルバベルの前で平らにされる。」
バビロン捕囚からの回復の時期にペルシャ王クロスの命令により、神殿建築の指導者としてゼルバベルとヨシュアが立てられました。
そして、この神殿再建は反対勢力の妨害により工事の中断を予期なくされ、困難を極めたのです。
主は「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と語り、ゼルバベルを奮い立たせました。そして神の油注ぎにより、この困難な神殿再建工事が全うされたのです。
「大いなる山よ、おまえは何者か。 おまえはゼルバベルの前で平らにされる。」と語られたように、幾度もの試練があっても、その都度、神の助けにより工事が前進していったのです。
もし私たちが何かに対して「自分には無理だ」と思うならば、子どもが砂場に作ったような山でさえ、大きく見えてしまうでしょう。
反対に、もし「自分にもできるかもしれない」と主を信じるならば、事実それが高い山であったとしても平にされていきます。
私たちがみことばに歩むならば、神にとって不可能はないことを経験するでしょう。
Ryu_taro