すべてを耐え

2020年9月10日 更新 / 2020年9月24日 公開
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忍耐と我慢は異なる。
その先に希望があるものは、忍耐。
その先に希望がないものは、我慢だ。
多くの殉教者たちは、過酷な迫害を耐え忍んだ。
そのような人たちの話を聞くと到底自分はできないのではないかと思う。
しかし、彼らはイエスキリストに希望を抱いていた。
彼らは我慢ではなく、忍耐だった。
ボクらがひとたび希望を失うならば、それは我慢に変わり、我慢は長く続かない。
だから忍耐力とは、あなたの内にある希望の力だ。
我慢は良くないが、忍耐をしよう。
そしてどんな時も忍耐することができるように、希望の光から目を離さずにいよう。
信仰者たちがどんな境遇でも忍耐し続けることができたのは、イエスキリストに希望を抱いていたからだ。
アウシュビッツ強制収容所を体験したV・E・フランクは「それでも人生にイエスと言う」の著書の中で、心の支えを(訪れる)将来ではなく、永遠に持つものは、気持ちをしっかりと持つことができた。(頁130)と語る。
将来を考えても絶望がそこにある。しかし、永遠に目を向けるものは、希望があるのだ。
これは我慢強さではない。
希望の強さなのだ。
ボクらは全てを耐え忍ぶためにキリストに希望を抱こうではないか。

Ⅰコリント13:7
すべてを耐え

Fumika