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自分で生きていきたい
“私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。”
ローマ14:8
聖書 新改訳2017©︎2017新日本聖書刊行会
ボクらの中には、
「自分で進路を決めたい」「誰かに指図されたくない」
という思いが潜んでいる。
だから親の投げやりな言葉や、
先生の的外れなアドバイスにたびたびイライラするんだ。
そういう人はいつの日か、
自分にとって都合の悪いみことばは、読み飛ばし、
期待通りに働かない神さまを捨てていく。
“神さまのため”に造られた人間が、
“自分のために”生きていくならば、
全財産を投げ打っても取り返すことのできない
永遠のいのちを失うことになる。
ある宣教師が
「罪(Sin)のスペルの中心には“ I ”(自分)がいる。
罪とは、自分が中心になることだ」
と言っていた。
あなたは今、誰のために生きているだろうか。
自分のためだろうか、それとも、主のためだろうか。
今日のみことばをもう一度読み返してみよう。
(FM)