本当に自分が大っ嫌いになる時があります。
わかっているのに、何度も同じ過ちを繰り返したり、罪に溺れている自分を見る時です。
「何やってんだよ。自分。」
そんな苛立ちが、呆れた思いと共にこみ上げてきます。
もっと自由になれたら、もっと楽になれるなら。
そんな希望に思いを馳せながら、変わらない現実が私たちをよりいっそう苦しめます。
私たちが憧れる信仰者たちは、そんな思いから自由にされていたのでしょうか。
決してそんなことはありません。
パウロはこのように告白しています。
ローマ7:15
私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。
彼には、願った生き方があるのに踏み出せないようです。
彼には、求めている自分がいるのにそこに到達できないようです。
そんな彼はさらにこのように嘆きます。
ローマ7:24
私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
あなたが諦めたくなる自分がいたとしても、あなたを決して諦めない神様がいることを覚えていてください。
あなたの罪は神様からあなたを引き離すものではなく、むしろ、あなたに神様が必要だということを教えてくれるのです。
Fumika