「キリストは、神の御姿であられるのに、 神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。」
ピリピ2:6-7(抜粋)
「教会に行くなんて、弱い人がすることだよね」そんな声を聞いたことがある。
確かに、救いを必死に求める人の姿は、あまりかっこいいものではないかもしれない。
救いを求めることはダサくて、信仰を持つことは恥ずかしい、かもしれない。
でも考えて欲しい。
ボクらの救いを求めるイエスさまの必死な姿を。
イエスさまはボクらのために、どこまでもダサく、醜くなられた。
人々は、その姿を見て馬鹿にした。
救いを必死に求めるボクらの醜さ。
救いを与えるために必死になる神さまの醜さ。
誰も触れてくれなかった醜い部分に、神さまが触れて繋がってくれた。
「教会に行くなんて、弱い人がすることだよね」という言葉は、
自分の弱さや醜さを隠す言葉なのかもしれない。
自分の醜さを知れば知るほど、イエスさまの十字架の恵みが見えてくるんだ。
(FM)
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2023年12月19日